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中八幡神社の六角形の地神塔 しかも亀趺(キフ)に乗っている。そして早雲伯耆の富田浦八幡宮を訪ねる。

2015.09.16(21:03) 457

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藩令により建てられた地神塔の心石は5角形だが6角形の地神塔が国府町にもあるというのでお参りに出かける。

南環状線の東側、観音寺の近くにその八幡神社はあった。

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立派なクスノキがそびえる境内には2組の狛犬が出迎えてくれる。

その手前に珍しい石塔がある。

宝暦四甲戌歳(1754年)5月15日と紀年銘が刻んである。

その隣には「上 子供講中」

石柱の上にあった笠石は下に落ちている。

石柱も風化が進んで剥げ落ちかけている。

子供講中とは何だろうか?

子供達だけの講があったのだろうか。

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本殿の左に、立派な狛犬に守られてその地神塔はあった。

常夜灯が備わっている地神塔は多いが、狛犬が守っている地神塔は珍しい。

この地での地神塔の格の高さが感じられる。

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地神塔は綺麗にカットされた組石で出来た箱石の上に立っている。

なんと心石は亀趺(キフ)に乗っている。

以前、石井町で見かけた亀趺(キフ)と同様で立派な亀さんだ。


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亀趺(キフ)とは台石の一種で、石碑を載せる台石を大亀の形にしたものだ。

石で亀の形を作り、その背に碑を載せることで、その碑が永遠に後世に残ることを念じて建てられるのが、亀趺。

古来、中国では、亀は万年の寿齢を保つ霊獣とされてきた。

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亀趺は、もともと中国の貴族階級の風習だったのが、江戸時代に日本でも取り入れられたという。

亀趺は功績や功徳などを刻んだ石碑を載せるものが多いが、大久保利通の墓碑のように墓石を載せるものもある。

亀趺の亀は贔屓(ひいき)といい、龍の九子のうち龍になれなかった一子で、巨大な亀の形に似た想像上の霊獣だとされる。

「贔屓(ひいき)」は「贔屓にする」などと用いられる「贔屓」だ。

贔屓は亀が重い石碑を乗せている様子から「一生懸命努力して力を出すさま」を意味するとされる。

それが「特別に便宜を図ったり、力添えをする」意味に使われるようになったそうだ。

それにしても、その亀趺(キフ)がこの鮎喰川下流域の地神塔に多く使用されてている事は不思議だ。


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心石に刻まれた5神の名は標準だが、天照皇大神の裏側の面は何も彫られていない。

つまり6角形の5神塔だ。

紀年銘は彫られていない。

香川坂出の藤木神社の6角形の地神塔には、五神に、”水波女命” が加わっている。

水波女命は、『古事記』の ”弥都波能売(みつはのめ)の神”、名義は、”出始めの水の女”。

”伊耶那美命” が、火の神を生んで、命を失うとき、その ”尿” から化成した神。

灌漑用の水の神でもあり、火を鎮圧する神でもある。

讃岐の地神塔は、阿波から移住した人達が建てたと言われているが、やはりその土地毎に違いがあるようだ。

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何故6角形なのだろうか。

単に5角形の石柱が造りにくかったからだろうか。

しかしながら、大江匡弼著『神仙霊章  春秋社日礁儀』の「本朝社之略図」をよく見ると6角形の心石の図が書かれている。

説明には5角柱に5神を刻みとなっているが、この図を見て石工が6角形の心石を造ったのかもしれない。

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神社の裏には目通り幹囲 7.7mの素晴らしい大楠がそびえている。

まだまだ樹勢が盛んなのでこれからも何百年もその大きな枝を広げて八幡神社を守り続ける事だろう。

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帰りに、伊賀町の八幡神社にお参りする。

この八幡神社は富田浦八幡宮と呼ばれ「寛保改神社帳」には、「富田浦八幡宮 神主富田 早雲斎宮」とある。

地神塔の建立について藩主に建白を行った早雲伯耆の子孫が今でも神主を務めている。

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この八幡神社の随神門 は徳島市指定文化財。

例によって二人の神官が門を守っている。

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随神門の門柱に、社日の案内が書かれている。

土地を休めるため、花植えや草抜きも止めましょうと書かれているが現代ではちょっと。

しかし、社日について市民が関心を持ってくれれば良い事だと思う。

門前に住んでおられる年配の男性に話を伺ったが、社日も地神塔も全く聞いた事がないとおっしゃっていた。

佐那河内や上八万では現在でも氏子が参加して社日祭が行われているというのに、都市部ではもう忘れられているのかもしれない。

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拝殿は、江戸中期の建物で、三間一戸の切妻造りである。

しかし昭和42年(1967年)11月に不審火で焼失し、現在のものは昭和62年(1987年)4月に復興したものだ。

この神社の有る伊賀町は、富田中学校の校区なので、私の学友も多く住んでいる。

不審火で消失した日の事も覚えている。

しかし、昭和62年には松山に居たので再建された事は知らなかった。

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とても立派な社殿だ。

青石の扇型に広がる大きな石段は残っていて見覚えがある。

お参りしてから、地神塔を探すが神社内には建っていなかった。

佐那河内の大宮八幡宮、上八万の宅宮神社そしてこの八幡神社も神社内に地神塔がない事が不思議だ。

地神塔の造立起源を探る植えで一つのヒントかもしれない。

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新しい玉垣に瀬戸内晴美さんの名前が。

瀬戸内寂聴ではなくて晴海さんの名前が何故か新鮮だ。

一緒に刻まれている瀬戸内敬治さんは晴海さんの甥っ子。

徳島市東大工町で仏具屋さんを営んでおられる。

この八幡神社の氏子さんだったのだなあ。
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