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里山の風に吹かれて The woodlands of the wind    徳島 里山の花        



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大匠寺 大匠院(まつ) 蜂須賀正勝の正室の供養塔

2017.06.24(10:33) 486

徳島県徳島市多家良町谷神2-2

大匠寺


大匠寺は、蜂須賀正勝の正室大匠院(まつ)を祀っている。

曹洞宗の禅寺。

元和9年(1623年)、大匠院の十三回忌に伴い息子家政が大匠寺を創建した。

丈六寺の末寺で大匠院の念持仏を安置している。

丈六寺 鳳祝和尚の隠居寺として菩提米10石の附興あり。

明治42年に法花谷養老軒内に移転していたが、文化の森の工事に伴い平成16年に元の所に戻った。

養老軒とは元禄期(1688〜1704年)に仕置役の折下格左衛門が開いた別邸のこと。

岩盤に穴を開けて園瀬川の水を引き入れて花や木を植え四季を楽しんだそうだ。

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静かで落ち着いた感じのお寺だ。

山号は興福山。

曹洞宗のお寺に良くみられる山号だ。

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静かで整った感じの境内。

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大匠寺ではなく大匠禅寺の見事な扁額がかかっている。

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真新しい本堂は禅寺の雰囲気があって清々しい。

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本尊は大匠院光室玄圭尼大姉の持念仏である聖観世音菩薩。

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毎朝5時から座禅を組んでいるそうで、昼間は自由に座禅が組めるそうだ。


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大匠院の供養塔がある。

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大匠院は益田持正の娘と言われているが、尾張の神官三輪氏の娘とも言われる。

蜂須賀家政の母として有名だが、その出生など詳しいことは解っていない。

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その奥に古い五輪塔が建っている。

住職にお聞きすると、山田織部の墓だという。

山田織部は代々丈六寺に祀られている。

しかしこの五輪塔は昔からここに祀られていたそうだ。

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戒名は「観真院智海隆廣居士」。

享年は元禄13年。

元禄13年というと赤穂浪士の討ち入りの2年前。

その年に没したのは第4代 山田織部 宗名5000石だ。

「山田豊前 宗春」の子で貞享元年相続し小石川普請奉行 等を務めている。

後は「山田織部 宗明」が継いでいる。
 
宝暦12年、阿波騒動で蜂須賀重喜に切腹させられた「山田織部 真胤」はその2代後となる。

藩主を批判して閉門を申し渡された山田織部真恒が、重喜を呪詛調伏して切腹させられたことも腑に落ちない点が多いが、何故と思われることが多い。


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雲水庵跡 ─ 東嶽禅師と阿波藩家老池田家墓碑群

2017.06.17(19:12) 485

雲水庵跡 ─東嶽禅師と池田家墓碑

雲水庵 山名臥龍 興源寺末流
八万町中津浦

東嶽禅師開祖し蜂須賀至鎮創立。

二世僧 宗恩に及び、境内、山林の境界を定め除税とし且、毎年米10石を以て寺領とする。

境内には、東嶽禅師始め歴代住僧及び蜂須賀家家老の池田家歴代の墓標八基がある。

〔八万町中津浦〕 広い敷地にわずかに残った 築地塀、大きな五輪塔、今は廃庵となった雲水庵跡。
宗派は臨済宗、元和5(1619)年に蜂須賀家政の義兄である 東嶽によって開かれた。
蜂須賀家から厚遇を 受け、境内は844坪 、堂塔が建ち並んでいたと伝えられているが、天 保13(1842)年に火災にあい、 規模が小さくなったといわれている。廃庵になるとき、庵の主だったものは興源寺に移した。
山麓の開山堂跡の墓地には開祖東嶽の墓碑がある。大きな五輪の塔は、蜂須賀氏の家老であった池田氏歴代の墓碑。平成元年ころには建物も取り壊され、現在の状態になった。

東嶽禅師は、蜂須賀正勝の正妻大匠院の連れ子で伊勢の国司北畠 具教(きたばたけ とものり)の落胤と言われる。
家政が生まれたため出家し、南禅寺で修行。臨済宗の僧侶となる。
家政とともに阿波に入り江岸山福聚寺(こうがんざん ふくじゅじ)を開山する。その後、興源寺の初代住職になり隠居して雲水庵主となる。
黒衣の宰相として有名。


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今は壊れた石塁が残るだけ

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雲水庵跡

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開山堂跡の墓地

開祖 東嶽禅師や歴代の庵主の墓が並ぶ。

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池田家歴代の墓碑群

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五輪塔に見えるが、「地」「水」「火」「風」「空」ではなく、戒名である院殿号を刻んでいる。

院殿号 【いんでんごう】

足利尊氏が等持院殿という屋敷の名を戒名の上につけたのが始まりとされている。これは天皇と区別するために殿という字を加えたもので、本来はへり下った表現とされていた。
江戸時代の将軍や大名に院殿号が授けられたことにより、江戸時代以降は院号よりも院殿号の方が格上とされた。
戒名としては最上位のものと言える。


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蜂須賀 玄寅の墓? 実は大7代池田登 永旨ながむねの墓

蜂須賀 玄寅(はちすか はるとら、1607年8月3日(慶長12年6月11日) - 1674年11月7日(延宝2年10月10日))は、江戸時代初期の人物。徳島藩蜂須賀氏の家臣。家老。山城守。諱は鶴松、由秀、由英、由清、玄寅。通称は内膳、山城。号は斉藤不白。別名池田玄寅。
父は備前国岡山藩池田家家老・池田由之の次男。母は徳島藩主・蜂須賀家政の長女・即心院(万)、妻は近江三井寺山内円満院坊官の西坊胤清(にしのぼうたねきよ)法印の長女亀(かめ)(寛永4年(1627年)1月11日死去、法号は芳林院殿真空妙心大姉、葬は近江錦織屋敷(信天舎・藤の堂)・後に大津新光寺へ移葬)。

同母兄は岡山藩家老の池田由成。弟に鳥取藩家老の池田之政、熊子(大石良昭室)。子は養子の興龍(蜂須賀隆矩)、実子の三尾正長(池田正長)。
慶長12年(1607年)、姫路にて生まれる。寛永3年(1626年)、外祖父・蜂須賀家政に招かれて、藩主蜂須賀忠英を補佐し家老となる。池田内膳由英と名乗っていたが、後に蜂須賀氏を名乗ることを許され、蜂須賀山城玄寅と名乗る。寛永5年(1628年)、知行5000石。島原の乱の際に藩船の運用について藩主忠英に進言したところ、将軍徳川家光の上聞に達し賞賛された。乱の後、寛永15年(1638年)、5000石加増される。

寛永19年(1642年)藩主・忠英の四男・興龍を養子とする。承応3年(1654年)近江大津上大門町の西坊家屋敷で実子正長誕生。万治元年(1658年)、興龍に家督を譲り、京に隠棲して斉藤不白と号す。寛文4年(1664年)、正長と対面し三尾氏を名乗らせる。 延宝2年(1674年)10月10日、京都で死去。享年68。法号は浄厳院殿不白玄雪大居士、葬は南禅寺塔頭慈氏院。導師は南禅寺当住光寺英中玄覚和尚。

よく見ると戒名が「萬髄玄幽居士」なので玄寅とは違うようだ。

よく見ると「長旨 字浪江」と読める。旨の「匕」が「上」になっているので解らなかった。

池田登 長旨は備前国伊木長左衛門の三男。安永元年養父長好の養子となり家を継ぐ。

宝暦2年は蜂須賀治昭から白銀100枚を賜った安永2年の間違いではなかろうか。

安永6年治昭公の御縁女 俊姫へ御納兵弊の御使となっている。

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5代池田登 長甫(ながなみ)の墓

享保20年(1735年)召出 家老 4000石

妻は蜂須賀重隆の妹 千姫

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一番北東の端にある立派な墓は字が細かく風化してよく読めない。

辛うじて長教の文字が読み取れる。

第8代 池田周防 長教かも知れない。

天明元年、父長旨の遺領を継ぐ。

寛政3年、3000石。

寛政3年16歳にて没。

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第9代池田周防 長輿の墓

岡山藩家老で天城池田家当主の池田政喬の末男として天保10年岡山に生まれる。

寛政3年、一族の徳島藩家老池田長教の養子となって家督を継いだ。享和元年(1801年)正月に仕置見習、文化元年(1804年)8月に仕置家老となる。

妻は長教の妹。


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盛の墓

蜂須賀休光 (1760年 - 1812年)8代藩主蜂須賀宗鎮の七男)の女 
池田長興の正妻1789~1826

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第10代 池田大隅 昭訓(あきくに)の墓


蜂須賀休光の子 宗鎮の孫  池田周防 長輿の養子  文化3年相続 御仕置方御用

池田 昭訓(いけだ あきくに、1791年(寛政13年) - 1842年10月30日(天保13年9月27日))は、徳島藩の仕置家老。
藩主一門・蜂須賀休光の子。8代藩主蜂須賀宗鎮の孫。母は安芸氏。子は池田昌豊。兄弟に、池田長興室、醍醐輝弘室(蜂須賀至央養女)、蜂須賀休栄、蜂須賀休紹。
幼名は雄吉。初名は幸通(ゆきみち)、のちに11代藩主の蜂須賀治昭より偏諱を賜って昭訓に改名。通称は大隈。文化3年(1806年)7月24日、姉の嫁ぎ先の家老・池田長興(蜂須賀山城玄寅の子孫)の急婿養子となり家督を相続する。文化11年(1816年)9月、仕置家老。天保13年9月27日没。享年52。

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さらに奥に登ると興源寺管理の墓地がある。

一般の方のお墓も有るが、池田家の古いお墓も沢山有る。

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このお墓は第6代 池田山城 長好4000石のお墓だと思われる。

宝暦8年長甫の養子となり阿州に来る。

宝暦10年に家督相続。

子がなく、養子浪江(長旨)を迎える。

養子長旨が30歳で早世しその子長教が継ぐ。

寛政10年年63歳にて没。

しかし、長好の墓が池田家累代の墓地になくしかも小さいのは謎である。

他にも調べると此方の墓地に祀られている池田氏も多いようだ。

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正面を写すのを忘れたが、このお墓は12代池田登 永考。

嘉永2年生まれ。

慶応3年召出し。

高5000石

明治37年、56歳で卒。

他の調査は後日にしよう。


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大川原高原 オンツツジ

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